歴史・観光スポット
昭和小学校の周辺には,珍しい場所や幕末から明治にかけての歴史を感じられるものがいくつかあります。
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地球33番地経緯の数字「3」が12個も並んでぞろ目になる地理学的にとても珍しい場所で,高知市内を流れる江の口川の川の中に 東経133度33分33秒,北緯33度33分33秒を表すモニュメントがあります。
地球上には経緯を表す数字がぞろ目になるところは何地点かありますが,そのほとんどが砂漠の真ん中や海上などにあり,人間が生活する都市の中にあるのは,地球上ではこの場所だけです。
毎年3月3日には美しいまちづくりや環境保全に関わる記念式典が開催され,本校の3年生も参加してます。 モニュメントのある場所は,旧日本測地系で計測したものです。現在の世界測地系では,昭和小学校の運動場南東角から南へ約6mのところが「地球33番地」になるそうです。
校区を流れる江ノ口川のほとりには,土佐漆喰の白壁と水切瓦のコントラストが美しい「倉庫群」が残っています。昭和の頃、まだこの地が田園地帯だった名残で,藁を収蔵した倉庫群です。
現在は外装をそのままに、小さな蔵のミュージアム(藁工ミュージアム)やアートギャラリー,土佐の食材にこだわるレストランなど様々なお店が入っています。お散歩しながら、高知の文化や食にふれることのできる小さなアートゾーンです。
田内さんは高知市若松町(昭和小校区)で生まれた後,7歳で両親と共に韓国に渡り、戦後の混乱や朝鮮戦争のさなか,韓国で孤児3000人を守り育てることに生涯をかけました。
1997年には高知市若松町に田内千鶴子生誕地の碑が建設され,現在も「韓国孤児の母」として多くの人に慕われています。今年(2012年)は生誕100周年の記念の年にあたり,様々な行事が予定されています。
幕末から明治にかけて活躍した土佐の絵師です。ジョン万次郎が帰国した際取り調べを行い、聞き取った話をもとに『漂巽紀略』をまとめました。龍馬より12歳年上で外国事情に詳しく、若き龍馬に世界へと目を開く示唆を与えた人物の一人。
菜園場商店街の西にある横堀公園の近くには土佐勤王党の党首だった武市瑞山(半平太)が開いていた道場の跡地があります。この公園にそれを記す碑がつくられました。この道場には中岡慎太郎や岡田以蔵らも通っており、龍馬もよくここに出入りしていたそうです。
立志社は板垣退助や片岡謙吉、植木枝盛らが立ち上げた、自由民権運動の中心になった場所です。士族だけでなく、一般の人々も立志社に集い、国会の開設、男女同権などを要求する自由民権の考え方を広めるための活動をし、近代国家への仲間入りを目指しました。
【碑文紹介】 昭和37年7月
青い空、青い海、青い山 ここに若さと自由がある 明治七年高知に誕生した立志社はこの大自然を象徴して自由民権の理想を掲げ日本近代化のため先駆した「自由は土佐の山間より出づ」といわれた往年を回想して私たちは碑前に若さと自由をたたえよう
フランス語を学んでいた兆民は、フランスの思想家ルソーが書いた『社会契約論』の部分訳『民約論』を出版し自由民権の考えを広めました。そのため、「東洋のルソー」と呼ばれています。
若い頃、長崎に留学していたときに坂本龍馬に出会っており、龍馬からたばこの買いものを頼まれたという逸話も残っています。